カテゴリ:掃海隊群( 15 )
海上自衛隊掃海隊群 掃海母艦うらが「年初入港吾妻島前」
b0176417_22113771.jpg
2013年1月12日(金)東京湾
海上自衛隊掃海隊群 掃海母艦「うらが」さん(横須賀)

2013年最初の掃海部隊の皆様の見学記録は、掃海母艦「うらが」さん入出港となりました。早朝、午前は白く霞んでいた東京湾でしたが、午后より見事な快晴となりました。冬晴れの冴え冴えとした視界に威風堂々、掃海母艦「うらが」さん。よくよく考えると、この位置からの「うらが」さん長浦港入港の記録は初めてとなります。

2011年、2012年共に、ペルシャ湾にて行われた国際掃海訓練より帰国される「うらが」さんの記録がありませんでした。いずれも日向灘にての『機雷戦訓練・掃海特別訓練・潜水訓練』期間中であった事もあるのですが、ようやく「戻って来られた」際を記録する事が叶いました。
by stbrristol | 2013-01-15 22:08 | 掃海隊群
20100529 高松港2万トン級岸壁 掃海母艦「ぶんご」
b0176417_16243211.jpg
2010年5月29日(土)サンポート高松(高松港)2万トン級岸壁
海上自衛隊掃海隊群掃海母艦「ぶんご」さん、海上自衛隊掃海隊群第51掃海隊掃海艦「はちじょう」さん、呉地方隊阪神基地隊第42掃海隊掃海艇「つきしま」さん

by stbrristol | 2010-06-09 16:27 | 掃海隊群
第五十九回掃海殉職者追悼式 掃海母艦「はやせ」主錨
b0176417_21361836.jpg
平成二十二年五月二十八日 金刀比羅宮境内 海上自衛隊掃海隊群第一掃海隊 掃海母艦「はやせ」さん主錨

掃海母艦「はやせ」主錨の由来

 掃海母艦「はやせ」は昭和四十六年十一月六日、東京・石川島播磨重工で竣工、第一掃海隊群に所属し呉を母港として掃海部隊の旗艦となる。
 爾来海上自衛隊演習、機雷戦訓練、掃海特別訓練への参加は元より爆発性危険物の処分、北海道南西沖地震や阪神淡路大震災の災害派遣など多様な任務に即応し輝かしい成果を挙げて来た。
 特に湾岸戦争後、平成三年四月、国内外の要望に応えて自衛隊創設以来初めての国際貢献となるペルシャ湾掃海派遣部隊の旗艦となり、掃海艇「ひこしま」「ゆりしま」「あわしま」「さくしま」、補給艦「ときわ」と共に熱暑に耐え砂塵にまみれながら九十九日間におよぶ掃海作業に従事し被災国の復興に寄与した。その業績は海上自衛隊の名声を世界に知らしめ、以後我が国の国際平和維持活動の魁となった。
 ここに平成十四年二月十一日除籍された掃海母艦「はやせ」の三十一年有余に亘る勇姿を偲び、その功績を讃えるとともに業績を末永く後世に伝え、以て国際平和と海上交通の安全を祈念する象徴として主錨を奉納する。
平成十六年六月五日吉日 琴平町 航啓会 はやせ乗組員一同

掃海母艦「はやせ」主錨案内板より転載させて戴きました

by stbrristol | 2010-06-07 21:41 | 掃海隊群
第五十九回掃海殉職者追悼式「掃海殉職者顕彰碑前にて」
b0176417_21295266.jpg
平成二十二年五月二十九日 掃海殉職者追悼式終了後 掃海殉職者顕彰碑前にて
海上自衛隊掃海隊群 掃海母艦「ぶんご」さんの皆様

by stbrristol | 2010-06-07 21:31 | 掃海隊群
第五十九回掃海殉職者追悼式「国旗降下」
b0176417_1125531.jpg
平成二十二年五月二十九日 第五十九回掃海殉職者追悼式 国旗降下

by stbrristol | 2010-06-07 01:14 | 掃海隊群
第五十九回掃海殉職者追悼式「敬礼」
b0176417_4153648.jpg
平成二十二年五月二十九日 第五十九回掃海殉職者追悼式 海上自衛隊掃海隊群司令 松本幸一郎海将補

by stbrristol | 2010-06-05 04:16 | 掃海隊群
第五十九回掃海殉職者追悼式 掃海殉職者顕彰碑前「儀杖隊」
b0176417_4102926.jpg
平成二十二年五月二十九日 第五十九回掃海殉職者追悼式
海上自衛隊掃海隊群 掃海母艦「ぶんご」さんの皆様

b0176417_4114943.jpg
平成二十二年五月二十九日 第五十九回掃海殉職者追悼式
海上自衛隊掃海隊群 掃海母艦「ぶんご」さんの皆様

by stbrristol | 2010-06-05 04:11 | 掃海隊群
第五十九回掃海殉職者追悼式 掃海殉職者顕彰碑
b0176417_14312663.jpg
平成二十二年五月二十九日 金刀比羅宮境内 掃海殉職者顕彰碑

あ丶航路啓開隊
掃海殉職者顕彰碑建立の由来

 第二次大戦中、瀬戸内海及び日本近海には六万七千余個に及ぶ各種機雷が敷設され、昭和二十年(一九四五)八月の終戦時、日本周辺の主要航路、水路はことごとく塞がれていました。
 戦後これら残存機雷を除去し安全な海上交通を再開することが、国家再建の緊急業務となり旧海軍関係者は率先して航路啓開業務に従事しました。
 昭和二十七年までの六年有余に亘って主要な航路、八十余箇所の港湾や泊地など総面積五千平方キロに及ぶ海域が啓開され、我が国の産業経済の復興に大きく貢献しました。
 この間、航路啓開隊員は風浪寒暑と闘い、自らの危険を顧みず掃海や爆発物処理作業に挺身し、不幸にも七十九名が殉職しました。
 これら殉職隊員の偉業を永久に讃え、後世に伝えるため瀬戸内海国立公園観光事業促進協議会及び一府十県にわたる三十二港湾都市の市長らが発起人となり昭和二十七年六月、海にゆかりのここ金刀比羅宮境内に、当時の吉田茂首相の揮毫により「掃海殉職者顕彰碑」が建立され、以来毎年五月の最終土曜日に関係者及び有志相集い、碑前において嚴かに追悼式が執り行われ、今日に至っております。


「掃海殉職者顕彰碑建立の由来」案内板より転載させて戴きました。
by stbrristol | 2010-06-01 14:29 | 掃海隊群
第五十九回掃海殉職者追悼式「献花」
b0176417_115665.jpg
平成二十二年五月二十九日 第五十九回掃海殉職者追悼式 海上自衛隊掃海隊群司令 松本幸一郎海将補

by stbrristol | 2010-05-30 01:04 | 掃海隊群
20100528 金刀比羅宮 第五十九回掃海殉職者追悼式予行
b0176417_23553934.jpg
平成二十二年五月二十八日(金)金刀比羅宮境内 第五十九回掃海殉職者追悼式予行 国旗掲揚

by stbrristol | 2010-05-28 23:58 | 掃海隊群